止まれの時間、神様がくれた貴重な時間
学校から帰った息子がなにやら
「すごい、すごい」と叫んでいる。
「何がすごいの?」と聞いてみると
外国の誰だか偉い先生の考え方によると
うんぬんかんぬん・・・という話
歌の発声法の指導にいらした先生から聞いた話だそうだ
「今ここに、扉があるとする。どうする?」
「開けてみるかなぁ、押してみる」
「押してみて、開かなかったら?」
「押してダメなら、引いてみなだよね」
「押しても、引いても開かなかったら、どうする?」
「う~ん・・・色々やって・・・・ぶっこわしちゃうかも」
「やら~全部DOなんやて。DO,DO,DO,なんやて」
「ふむむ・・・どうゆうことかしらん」
「みんな、大抵は何とかして開けようとする、する、する、するをし続けとる
それを止める。やめて見るという考え方があるんやて。
DOを止めて、見てみたらなんや、こんな所に開けるボタンがあったって
事もあるんやって事。
本当に開ける必要があるかな?、必要ないかもしれないな。
どうなんだろう と一旦開けるのを止める。
つまり、ずっと足し算の考え方を引き算にしてみる。
これは必要か→必要じゃない
これは本当に大切な事か→いやそれほどでもないと引き算していく
すると、最後に本当に自分にとって大切なことが見えてくる
自分という姿が見えてくるって考え方」
「ほ~なるほど~」
「そうなんやて、めちゃすごいわ~、楽になった気せん?色んな考え方があるよな~」
とニッコリしている。
で、今母ちゃんは、彼の話を聞いて「神様がくれた時間」について考えている。
人間生きてりゃ、色んな事がおこる。
自分にとって幸と思われること、そうでないこと。
ずっと、一本調子で走っている訳にはいかないよな
たまに、「止まれ!」って神様が言う時があるし
そんな時、母ちゃんの場合、大抵はうろたえる
次に、「ど~すんの?も~最悪~。ダメかも」的思考に
で、「見なかったことにしようかな~、逃げたら楽になるよな~」と・・・
んで、「でもでも、頑張らんと!頑張るよ!頑張っちゃうよ私」みたいな
気持ちがカラカラ空回りってとこに落ち着く
自分でも嫌になるほど単純でばかみたい
この行動パターンに彼の言ったことを加えるとどうなるか
「止まれ~」の時が、まさに見るチャンスということになる。
見えなかったものが見えるチャンス
大切なものがはっきりと解るチャンス
そういう考え方をすれば
「止まれ~」は辛いよ~と思ってたけど
止まれの時間も大切に思える。
よし!神様がくれた貴重な時間を愉しむことにするか!
で・・・・発声法の話はどうなったの?
まっいいか、明日またゆっくり聞きましょう。
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